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2009年10月13日 (火)

過ぎ去る昭和

Dojo

以前メインで通っている道場とは別に、個人的にお世話になっていた私営の道場がありました。(勿論弓の、ね)下町の、その昔は遊里だった一角に残るボロボロのこぢんまりとした道場で、地元に区営の立派な体育館の一部として道場が設立される以前はここが地元のメイン道場で、歴史は古く、今や範士八段の我らが連盟会長も若き日はここで過ごしたと聞いております……。しかし経営難やら安全上の管理、利用している人々のジェネレーションギャップ的確執などからここ数年で段々と人足が遠のき、殊に若者離れが顕著になってしまった今日この頃……。私も何かイベントごとがあって声をかけられる以外はすっかりご無沙汰しておりました。そこには僭越ながら私が「●◯ボーイズ」と命名した三大重鎮のおじいちゃん方がおりまして、普段から午後のんびりと弓を引いては夕方には酒を酌み交わし、それはそれは戦前・戦後・昭和の香りがプンプンな会話でいつも盛り上がっておられました。「私の生まれは長州でね」とか「俺が元祖カミナリ族よ!」とか「日本の男児たるは……」とかそういう言葉が普通に出てくる空間。酒癖の悪い昭和のガンコ親父を絵に描いたような……故に柔軟性に欠け、若者に対して批判的であることが確執の元ではありましたが、それはそれで世代を超えた貴重な交流をいろいろとさせていただいてました。そのボーイズの一人で最長老だった方が先日亡くなられました。「大分弱っているらしい」という噂は聞いてはおりましたが、それでも1年ほど前にお会いしたときはフーフー言いながらもちゃんと道場で弓を引いておられた。今でこそ美容師だけど元々は結髪屋さんで、若い頃は都内近辺の映画撮影所に出入りし、いろんな女優さんの髪を結って記念写真を撮ってもらっては鼻の下を伸ばしていた、というのがお決まりの自慢話だったS翁。いろいろ問題はあるんだけど、あの3人が健在だから未だあの道場はもっていたようなところがあっただけに……その一人が欠けたという事実はショックでした……と、同時に自分も自ら遠のいていってしまった一人なだけに少し胸にチクリと刺さるものが……。

何と言うんですかね、武道における「道場観」は日々変わってきていると思うんですよ。昔は道場に入門するというのはそういう一派の家族になるような心構えがあったと思うんです。つまり道場主=師匠というのはその流派の技術的指導者なだけでなく精神的、思想的指導者でもあって、門人は精神的な面でも師匠の主義に迷いなく頷ける覚悟がなければならなかったというか……。十二分に精神教室でもあったと。しかし我々は武士ではありませんし、それで食って生計を立ててる人なんて殆どいない。(弓道なんか特にねー)多くの人は気軽に「スポーツ」として楽しみたいから入門してくる。技術を得たいのであって、精神論はあくまで個人主義でいたいというのが現代人の多くの人の感覚ではなかろうかと思います。いえ、それでいいんだと思いますよ。そういう心持ちでもやはり人徳のある指導者には皆自然と敬意を示すと思うし、それぞれの考え方で精進するので良いと思う。最低限の武道精神における「礼」も様式としては十分に残っていると思うし、ちゃんと理解できる。ただねー、この古来の道場観にある兄弟子・弟弟子観や外様と譜代みたいな感覚とか、そういうのはほとほと現代社会向きではないと。純粋に技術の追求をしたい人や、一趣味として同好の人と楽しくやっていきたいという感覚の人にはどーにもただ居心地を悪くする要素でしかなくなってしまうんですよねー。で、そういう違和感を一概に「これだから今の若いモンは!」という風に片付けられてもやっぱり納得できないと思うんですよ。やることやってんのに何故若年だからというだけで批判されるのか、とか。難しい問題だとは思いますけどね……。体制を時代に沿って変えるのは軟弱になるのではなくて、柔軟であれ、ということだと思うんですが……。うーん……。

何だか話が反れました。(汗)とにかく私の知る古き良き昭和がまた一つ消えてしまいました。トリオの残されたお二人やご家族の心中を思うに誠に悲しく、残念なことであります……。親戚以外の通夜に参列するのは久し振りですが……行ってきます。S翁のご冥福をお祈りします。

【 追記 】

浅葱さんのブログに興味深いお話があったので、ちょっと引用。 ↓

「秋から冬にかけてと、明け方は引っ張られやすいのですよね。単純に夏の疲れを持ったまま秋に入って身体がついていかなくて…というのもあると思いますが、しつこい話で人間は本当に心の生き物だなぁと思いますので、寂しげな季節に情緒を引っ張られてそのまま彼岸へ行ってしまうこともあるのかな…と。」
(全文を読みたい方はコチラ

そうかもしれない。

お通夜、行って参りました。地元の著名な斎場で行われただけにかなり盛大なお通夜で、弔問の方もたくさんいらしてました。弓関係の人間はその1/3ぐらいを占めていたかな…。いつも思うのですが、棺に納められている故人の顔を見ると生前の面影が全く見れないのは私の目がおかしいんでしょうか?それこそ納棺師の方が丹精込めて故人の最期を飾ってくれているんだと思うんですが、棺を覗く度、「ああ、もうここにはいないんだな」と思ってしまうのです。今回もS翁はもうそこにいない感じがしました。だから顔を見たときは悲しいという感情も微妙だったし、涙も出てきませんでした。しかしその後、奥さんや娘さんと話してS翁の亡くなる少し前の話を聞いたら涙が抑えられなくなりました……。

棺の上に陳列された道着やかけ、弦巻、在りし日の弓を引く姿の写真……そして棺の中には入りきらないので二ツに折って入れられた愛用の弓……。S翁は50で弓を始めて五段までなった方です。いや、ウチの弓連、70過ぎて弓始めて現在四段の90過ぎのおじいちゃんとかいらっさるので珍しい話ではないんですが、人生の後半から始めても生涯の朋と成り得る弓。自分はまだまだ軽症だと思うんですけど、弓やってる人ってねー……なんか取り憑かれてるような人多いんですよ。仕事というか生業ってわけでもないのに、何でここまで入れ込んでるのか?こだわるのか?って人、本当に多いです。五段とはいえ、別に先生でも称号者でもなかったS翁……でも本当に弓を愛していたんだな、と。「射即人生」だったのだな、と……ご家族の話を聞いて思いました。娘さんから聞いた話はこうでした。

「亡くなる一週間前ぐらいでしたか、夜中に父がむくりと布団から体を起こして妹を呼んだそうなんです。妹が行くと父はこう…あれって弓を執る姿勢ですよね?こう両手を前に出して構えていたのですって。そして「力が入らないので手伝ってくれ」と妹に言ったらしいんです。妹が父の腕を支えて、父の左手の親指に指をかけて弓を引くポーズを取らせてあげたら……ええと、父は早く矢を離してしまう癖があったんだとか?(※早気(はやけ)というヤツです)だから「このまま6秒もたなきゃ」と言ってその間一生懸命引き込んでパッと離してそのままバタッと倒れてしまったんです。妹が「お父さん、やったよ!的中したよ!」と叫んだら「そうか…」って満足そうな顔をしたんだそうです」

S翁は7月頃から完全に自宅療養という形で伏せっておられたそうなんですが、元気な頃は毎日のように引いていた弓……。病床に就いてからもずっとずっと弓が引きたかったんだろうな、道場に来て皆に会いたかったんだろうな……そしてS翁の最後の一射がこんな……一射であったこと……ご家族に支えられ、自分の家で家族全員に看取られて逝ったS翁……。大好きだったんだ、弓が大好きだったんだ………涙が出ました。

明日(というか今日か)荼毘に付されるとき、S翁は愛用の弓具全てと共に逝く。「あれだけ持ってけば向こうでも十分楽しめるでしょ」「折れてるけどあの人ぁ昔から器用だからすぐに修繕できるよ」「先に行ってる先生方もたくさんいるからいくらでも教えてもらえるね」全ての弔問客が帰った後も親族でもないのにあの道場のかつての弓仲間でいつまでも飲みながら語り合ってました。でも「弓の仲間には最後まで残っていてほしい」というのがS翁の遺言でもあったらしく、ご家族の方も暖かく我々を歓迎してくれてました。いや、ホントに飲ん兵衛ばっかですみません。(汗)S翁、私もきっとずっと弓を好きでいるよ。行ってらっしゃい。


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